GALERIE VIE

voice vol.13

  • 食べ方の実験と愉悦。

    voice vol.13 / Satoko Kobiyama

    山フーズ主宰

    小桧山聡子

    Photography | Yurie Nagashima
    Styling | Yuriko E
    Hair and Make-up | Momiji Saito
    Text and Edit | Yoshikatsu Yamato
  • ギャルリー・ヴィーのスタンダードアイテムをご着用いただき、
    多様な分野で活動する方々にインタビューをする“voice”。
    ものづくりに込めたこだわりについて語る、作り手の声とともにお届けします。

    第13回のゲスト・小桧山聡子さんは、ケータリングやワークショップを通して、
    料理や、その食べ方、空間を複合的に組み合わせることで
    食のまわりにある「行間」を捉え、身体感覚をひらく試みを行なっています。

    中学生時代、真夜中に鍋に手を突っ込んで食べたポトフにはじまり、極私的にはじめた食べ方の実験。
    ほうれん草を茹でるだけで2000字のレシピ? 手から摂取する栄養?
    シェフとも違い、料理研究家とも言い表しきれない小桧山さんによる、脱線のすすめ。

  • 真夜中のポトフ事件。

    人は、ふと気づくと、もう食べている。子どものときは、好奇心から食べ物に手を伸ばして、ぐちゃぐちゃと遊びながら食べる。だんだんと親の食べ方を真似て、社会性を身につけ、食べる行為は「洗練」されていく。上手に食べられるようになっていく。食事は毎日の栄養や、満腹感のため、という目的が土台にあるかもしれないが、それだけではなく、日常や旅先のレストランで会話を交わしながらする娯楽でもあり、それは明日の活力につながる。飲食店のバリエーション、自炊のレパートリー、買ってそのまま食べられる惣菜やテイクアウトなど、選択肢は増え続けている。

    その一方で、目の前にあるものを口に運び噛み、飲み込み、血肉とする、といった「食べる」ことの身体性や、動物としての生々しさをかえりみる機会は多くない。ケータリングやワークショップを各地で開催する、山フーズ主催・小桧山聡子さんは、食や料理をとりまく文化のなかで、意外にも見過ごされているその「行間」にアプローチする。美味! というある種の結論だけではなく、そこに至るまでの道のりや、プロセスを観察する。

    小桧山さん

    料理好きな親の影響で、幼稚園の頃から一緒に包丁をにぎっていました。出来上がった料理の味や調理の面白さは当時から感じていたのですが、中学生のときの「真夜中のポトフ事件」が「食べる」という行為そのものへの興味を開いたんですね。

    ある日、真夜中のキッチンで鍋に手を突っ込んで、生ぬるい液体に触れました。やっちゃいけないことをやっているなあ、というゾクゾクとした気持ちのなか、手で肉をつかんで食べた。手の感触と口の中の食感の違いや、ひっそりしたキッチンで肉を咀嚼する音がくっきりと感じられました。そして、飲み込むと、食道をつたって胃に落ちていく。真夜中のポトフは「食べる」という行為が浮き彫りになる事件でしたね。1日3回もこんなにすごいことをして、それを見逃していたなんて! と驚きました。

  • 人前で食べるのが、恥ずかしい。

    それ以来、小桧山さんは、「食べる」ということがいちいち気になってしまう。たった1枚の食パンであっても、寝転がって食べたらどうか? 裸足になって、庭で仁王立ちして食べてみようか。階段の途中まで上がって食べてみようか。

    この景色で、この姿勢で、この気分で食べたらどうなるだろうか? どういう形状のものを、食感のものを、どういうふうに体に入れたら最善か。探究心がエスカレートして妥協できずに思い詰めてしまって、食べられなくなった時は生きづらさを感じた。しかし、テーブルについて、作られたものを差し出されて食べる、ということの外側に広がる終わりのない無限の組み合わせが、小桧山さんを解放していく。

    小桧山さん

    中学時代は多感な時期ですよね。自分の身体を意識しはじめ、赤面症のようになったり、人前で食べるのが恥ずかしくなった時もありました。だから、外では、小さく口を開けて、綺麗に食べて、食べるたびに口のまわりを拭いて……というふうにしていたんですね。

    でもこれって、自分が感じられるおいしさを半減させているのではないか、とも感じていました。それで、家で、ひとりで、口のまわりに食材がつくことなんて気にせず、顔中をケチャップまみれにしてハンバーガーを食べたんです。とてもおいしかった。誰に話すでもなくこそこそとやっていましたが、今思えばちょっと怖い(笑)。わたしにとって「食」は実験の場所になっていたのかもしれません。ホームページにある「食の指令 あいうえお」には、その経験が反映されていますね。

  • 第二の衝撃。

    リミッターが壊れる瞬間。不安を抱き、罪悪感にソワソワする。ヒビが入ると、そこから光が差し込んでくる。そして、見晴らしがよくなる。誰を傷つけるでもない、個人的な「食べる」。しかし、真夜中のポトフ、食パンの食べ方の実験、ひとりきりのハンバーガーは、小桧山さんが「料理を仕事にしよう」と考える直接のきっかけではなかった。聞いていると、なかなか衝撃的ではある。だがそれは小桧山さんにとっては、そうせざるを得ないことという意味で、日常だった。

    多摩美術大学の油画を卒業後、金工、木工、染め、革の加工などを総合的に手掛ける工房に務めるも退職をして、アルバイトをしながら制作をしようと選んだのが飲食だった。思春期よりは落ち着いたが、当時も実験的に食べることは私的な趣味として続いていた。ホールのスタッフであったのにも関わらず、そんな嗜好を店長に見抜かれ、映画と食を結びつける月一回のイベントで調理を任される。自分のなかで完結していた食が、それを食べる誰かへ向かっていった。

    小桧山さん

    イベントで、はじめて40人くらいに料理をつくりました。テーマに合わせて内容を考え料理するのですが、そのほかに、メニューに絵を書いたり、テーブルセッティングや器づくり、空間の演出などを総合的に組み合わせられたんです。美大でやっていたインスタレーションや、こそこそやってきた実験など、自分がしてきたことを集約できたような手ごたえがありました。それに、自分の手で作ったものが、そこに集まった人たちの内臓に入っていくっていうダイレクトさに痺れてしまった。鳥肌が立ったことを覚えています。40人がいっせいに食べて、反応がその場で跳ね返ってくる。衝撃でした。イベントは2年間続けましたが、震災を機にお店がクローズになったタイミングでフリーランスになり、ケータリングをはじめることになりました。

  • 手を介して栄養を。

    「食を入り口に、身体感覚をひらく」という試みを軸として、ケータリングやワークショップ、広告撮影のフードスタイリング、イベント企画、商品開発や執筆、講師など、小桧山さんの活動は多岐に渡る。そのなかでも、小桧山さんが、意外にも見過ごされている食のまわりにある「行間」をつぶさに言語化したのが「ひとりで立つ賑やかな台所―食材と戯れ遊ぶレシピ」と題される、ほうれん草のレシピだ。

    「ではまず、ほうれん草をご用意いただく前に、料理する人間(あなたですね)を準備します」。はじめから普通のレシピではない。現代美術において、文章による指令で観客の行為をうながす「インストラクション」のような手法のそれは、ほうれん草を洗って茹でるだけで2000字。通常ならば3行で終わることを細かく書いた。

    小桧山さん

    私にとっての料理は、突き詰めていくと「どう触れるか」だと思っています。そのやり取りはレシピから省かれてしまう行間にあることだけれど、一番大切な部分なのではないかと思うんです。野菜を水で洗い、切って、塩で揉む。その洗い方、リズム、力の加減や揉み方。そのあいだに感じられる、重さ、温度、ハリ、手ざわり、色の鮮やかさや香りの変化。触ることで相手を知ります。でも、それは同時に、どう見ているのか、っていうことでもあると思うんです。たとえば、桃を触るとき、ギュッと力強くは握らないですよね。知識や経験によって、あるいは、そのものをよく見て、想像力を瞬時に働かせて触れ方を調整する。「触れる」ということは、「見方」にもつながっていると思います。

    料理の過程では、たくさん脱線していくことができます。お湯が沸くってなんだろう、とか、 食材がこのまな板に辿り着くまでに、どういう道筋をたどってきたのだろう? とか様々な分野につながっていく扉が無数にある。また、素材とのやり取りのなかで心が動くこと、たとえば、素材を切った時の断面の美しさや、顔に当たる湯気の心地よさ、煮込んで素材が変容していく鍋の中のドラマとか、それらは、口に入れて食べて取り込む栄養素ではないけれど、料理をするひとに力を与えると思うんです。そういう料理の持つ懐の深さをもっと知りたいと思うし、いろいろな方法で形にしていけたらいいなと思っています。

  • GALERIE VIE DIRECTOR’S NOTE

    美しい光沢感があり、風に揺らぐモヘア。この素材を与えてくれるアンゴラ山羊は、寒暖差の激しい山岳地帯に暮らしています。厳しい環境から身を守る体毛は保温性が高く、一方で、カシミアやウールに比べて通気性が良いため、幅広いシーズンで着ることができます。毛を撚って糸にする段階で特殊な工夫を施し、モヘアにありがちな毛抜けが起きづらいよう作られています。

    このモヘアの風合いを活かすため、ギャルリー・ヴィーではリブ編みを採用しました。ふわふわとした毛の奥に凹凸感が生まれることで、生地の表情はより豊かになるのです。カーディガンは、大きめのボタンを6個つけ、Vゾーンは浅めに設定。袖や裾をキュッと締めず、すとんと落ちる縦長のシルエットは、ノーカラーのジャケットを羽織っているようなシックな佇まいです。可愛らしさがありながらも、パンキッシュなカルチャーのなかでも身につけられてきたモヘアには野趣がただよい、その両義性が魅力の素材です。

  • 食のあり方を広げていく。

    「衣食住」と並ぶように、食事と同様、服を着ることもまた「当たり前」の行為といえるだろう。とはいえ、食事は、身体の内側に取り込むけれど、服を着る行為は「自分の身体にもっとも近い外側」にとどまる。ファッションは、人に向けて、外側に放出していくパワーもある一方で、皮膚感覚を通して、着るひとの気持ちに変化や落ち着きを与える。

    小桧山さんは、料理や食のまわりで脱線しながらも、そのことによってかえって「食」の行間をとらえ、解像度を上げてきた。服を着る、外へ出かける、という行為にも、その前後に、じつは豊かな行間があるのかもしれない。真夜中にするファッションショー。ひとりであれこれ試す、スタイリングの実験。さりげなく自分にインプットしていた「こうしなければいけない」というルールやマナーから離脱する愉悦。あるひとつのモヘアのニットを、どんな心持ちで、どんな風景のなかで、どんな姿勢で着るか。着ることも、周辺の環境とのダナミックな相互作用のなかにあるのかもしれない。

    小桧山さん

    食べるという行為は、食材を味わい、一方的に摂取するというより、いろいろなものと複合的に混ざっていくこととも言えるかもしれません。生きているものを食べて、私たちも生きている。体調や感情は一定ではなく、揺らいでいるなかで、空間や状況、食べ方など、それぞれが変化し、関わり合いながら食べています。本当に疲れ切ってしまってコンビニの菓子パンをベッドの上で食べちゃおう、というときにも、それにはそれの美味しさや栄養があると思います。当たり前に繰り返している料理することや食べることを、いつもとちょっと違う視点から投げかけて、選択肢を広げていきたい。「食とそのまわり」の可能性をこれからも手探りで味わっていきたいです。

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