voice vol.6 / サウンドアーティスト 細井美裕「言葉になりきらない声。」
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言葉になりきらない声。
voice vol.6 / Miyu Hosoi
サウンドアーティスト 細井美裕
Photography | Yurie Nagashima
Styling | Yuriko E
Hair and Make-up | Momiji Saito
Text and Edit | Yoshikatsu Yamato
ギャルリー・ヴィーのスタンダードアイテムをご着用いただき、
多様な分野で活動する方々にインタビューをする“voice”。
ものづくりに込めたこだわりについて語る、作り手の声とともにお届けします。第6回のゲスト・細井美裕さんは
マルチチャンネルを用いたサウンドインスタレーションや舞台公演をはじめ、
自身の声や制作した音源、屋外録音を構築して、
異なるジャンルとのコラボレーションも行うサウンドアーティスト。作家として名前がクレジットされる活動だけではなく、
音に関わる空間や創作を裏方としてもサポートする細井さんが聞き取ってきた
言葉になる手前の「楽器としての声」の豊かさとは。
サウンドアーティストとしての活動。
東京にあるスタジオの窓からは、風に揺れる木が見えた。「日が差し込んで緑が見える場所は珍しくて」と機材を素早く準備するサウンドアーティストの細井美裕さんは、このスタジオでよく声をマイクに吹き込み、音を制作し、編集作業を行っている。
アルバムとしてパッケージされた『Orb』はApple MusicやSpotifyといった音楽配信サービスでいつでもどこでも聞くことができるが、最初の作品である《Lenna》はメディア・テクノロジーを用いた表現を探求する山口情報芸術センター「YCAM」、日本で電話事業を牽引してきたNTT東日本が運営する東京の文化施設NTT インターコミュニケーション・センター「ICC」など、特殊な展示空間や時間と連動させて発表してきた。
無人島の猿島で2022年に開催された芸術祭では、島に残された円形の砲台跡地に吸音パネルを設置して、ひたすらリスニング環境を整えた。音を加えずにその場所にある音の風景の観察を促す《Theatre me》は既にそこにある場所の特性や歴史的な文脈を拾いあげようとする近年のスタイルを表す作品のひとつだ。
《Theatre me》, 2022の展示風景
Photo by Ken Hirose
体育館で聞いた現代音楽。
経歴について聞いていたとき、マイクやスピーカー、ヘッドホン、それらと無数のケーブルでつながったコントローラーやモニターに囲まれて淡々と話す細井さんが「高校時代は体育会系なコーラス部に入っていて」と言ったのは意外だった。
小学校や中学校の音楽の授業は嫌い。ピアノは習っていたが合唱に特別な思い入れはなかった。しかし、入学式のプログラムに組み込まれていたコーラス部の合唱で新しい耳のセンサーが開かれた。なんでもない、ありふれた体育館だった。日本の現代音楽を代表する作曲家・武満徹の「さくら」に心を揺さぶられた。
細井さん
隣に座っていた母親に「入るかも」と言った記憶があります。それがいわゆる合唱曲とは違うことは明らかで、はじまりの”ドレミ”の和声があまりにもかっこよかったんです。ピアノで考えると分かりやすいかもしれませんが、”ドレミ”は鍵盤同士が隣り合っていて、ぶつかりあう音の組み合わせです。調和した和音ではありません。
とはいえ、使い方次第では濁りや歪みを含んだ複雑な響きでもある。空気の流れを可視化した実験で空間に物を一つ置くと空気が物にぶつかって渦ができますよね。不協和音と呼んでしまうとただ不快なようですが、異物は違う流れを生み出します。渦は一定ではないので有機的に感じられるんです。
誰かであるようで誰でもない。
総勢約80名の部員によって構成され、国際コンクールで金賞にも輝くの強豪校のコーラス部が重視していたのは、部員ひとりひとりの個性というよりは全体のハーモニー。もちろん、各自の声の特異性は避けがたくあるにせよ、それらが混じり合ってより大きな単位になり、匿名性のある主体になることが目指された。
匿名性はSNSに誹謗中傷の投稿をする人の隠れみのになり、「個性を大事に」という指針がデフォルトになっている現代社会においてネガティブに響く言葉かもしれない。しかし、細井さんの活動にとっての「匿名性」は複雑な魅力があるコンセプトだ。
細井さん
合唱は「みんなでひとつ」みたいなところがあります。誰かひとりが目立ってはいけない。私の場合、発声の指導が高校で終わっているので、この匿名性の高い声が特徴になる。誰かはわからないけど、誰かっぽくて、誰かしらではありそうな声。声を聞いた瞬間に誰か分かるような特定の人物像と結びつく声ではない。そんなぼんやりとした匿名性の高さに私は魅力があると思っています。
なぜかというと、匿名性が高い声は浸透しやすいというか、受け取った側が自分なりの方法で解釈しやすいと信じているからです。強い主張があるものを聞いてパッと頭の中にイメージする風景に比べて、ぼんやりとして方針だけがある音を受け取ったときのほうが受け取る人が主体的に想像する範囲は広くなるのではないか。よりパーソナルなところまで届けられるのは匿名性の高いものだと今は考えています。
ライス・ワークとライフ・ワーク。
しかし、高校の合唱部で出場した国際大会は、匿名性が高い表現とは異なる魅力を知るきっかけにもなった。同じ制服を着て棒立ちで並び、鍛え上げた合唱の技術で金賞は受賞したけれど、民族的なルーツを反映した衣装を身にまとって「パフォーマンス」をやり遂げた他国チームには負けたような気がした。プレイヤーとしての意識だけではなく、演出や企画、マネジメントの視点が必要なのかもしれない。そうして細井さんは、表現を俯瞰して考える立場への興味を強めた。
慶應義塾大学総合政策学部(SFC)の授業では、表現の手前にあるアートマネジメントやプロデュース、理論について学び、プログラミングのスキルを身につけた。そして、音や光といったテクノロジーを使いながらアート作品や広告を制作しているクリエイティブスタジオでインターンをして、卒業後3年ほど働いた。
25歳でフリーランスになった細井さんは、作品づくりだけではなく、ミュージシャンのライブ演出のプランニング、楽器メーカーの展示会のディレクションなど、サウンドに関わる分野のテクニカルな部分のサポート、映画音楽の制作、企業の技術開発など「裏方」としての仕事も続けている。
細井さん
自分の活動を説明するとき、ライス・ワークとライフ・ワーク、裏方と表方という言葉を使います。「ご飯を食べていくための仕事も、やっぱりしなくちゃいけないんですね」と反応をされることがよくあって、ふたつは対等ではなく、ライス・ワークは見せない方がいいと思われているのかもしれないなと。ある時期、そんな意識を内面化してしまったのか「憧れのあの人は表現を突き詰めているのに、自分は……」と極端な比較をしてしまい、ライス・ワークをしている状況を恥ずかしいと思っていました。
でも、裏方の仕事を否定するのは、自分の半分を否定しているようで健全ではなかった。ライフ・ワークだと思われるものだけを頑張った時期もありましたが、そのなかには、ライフ・ワークの仮面を被ったライス・ワークが混じっていて、お金やクライアントの意向のためにクリエーションを曲げるのはとても苦しかった。私の精神衛生のためには、本当にやりたいと思うことだけを作品にするための金銭的、時間的な余裕をつくるシステムづくりが必要だと、すこしずつわかっていった感じです。
それで最近、裏方と表方の仕事に優劣をつけたり、偏った経験で急いで線引きをするのはやめて「裏方ではこういうキャリアを積んでいて、こういうスキルがあり、表方ではこういうコンセプトで作品を作っている。その両立と連携でこういうことができるのではないかと思っている」という姿勢や意思を思い切って伝えるようにしました。「裏は見せない方がいい」という雰囲気のなかでも、そうではないようにしたら状況が好転していった自分のような存在がいるということは、機会があるたびに伝えたいと思っています。
GALERIE VIE DIRECTOR’S NOTE
コーデュロイはフランス語のCorde-du-Roiに由来しています。「王様の畝」を意味するその素材は、ルイ王朝の王様に仕える庭師の制服に採用されていたそうです。カジュアルな装いのボトムスとして定番と呼ばれる位置にあるアイテムですが、実は由緒正しいルーツがあり、表面の艶に注目してみるとベロアのように上品でもある。現代と過去の受け取られ方に生じているギャップをヒントにデザインしたのがこのコーデュロイパンツです。
何年も履き込んできたかのように柔らかく、足の動作にストレスはありません。まるでパジャマのように、着たまま眠れるのではないかというほどのしなやかさです。しかし、そのシルエットはスラックスのように真っ直ぐ落ちて、腰回りのベルトループやポケットの始末といった細部に至るまで、端正な佇まいに仕上げています。こだわりの綿を原料に加工を施して、美しい光の陰影を生み出す生地の表情も特徴です。
生地の内側で着る人が感じるゆるい着心地と外側にいる周囲の人々に与える印象とのあいだにある大きなギャップが、このボトムスに奥行きを与えることを願っています。
《Lenna(22.2ch) 》
YCAMでのインスタレーション, 2019年
言語になる前の声。
「ヴォイスプレイヤー」という肩書きで、自身の声を重ね合わせた手法の作品も多いが、「歌詞」を歌っているわけではない。彼女はミュージシャンやシンガーではなく、楽器として声を使う。そんな細井さんには、私たちが何気なく用いる声がさまざまなレベルで聞こえている。
細井さん
私が今このインタビューで「わたし」と言ったら、自分のことを言おうとしているんだと受け取ってくれますよね。口から出る音が日本語というレベルに引き上げられて、意味を伝えてコミュニケーションができる。でも、日本語話者ではない方が聞いたらどうでしょうか。私が目の前にいて、話している場所が日本で、私が日本語を話す人だという前提情報から日本語だろうと想像したとしても、そこで発される「わたし」はもうすこしピュアに音として聞かれると思うんです。
羽田空港の第2ターミナルに展示した《Crowd Cloud》は、そういったことを考えながらサウンドアーティストのスズキユウリさんと共作したものです。単語になりきらないひらがなを多様な言語が入り混じる空港でランダムに鳴らして、どうしても意味と結びついてしまう日本語の知識をリセットして再構築を促そうとしました。声は空港を利用する鑑賞者の言語とも重なりながら日本のサウンドスケープを象徴するものとして、帰国した人を出迎え、出国する人たちを送り出すインスタレーションです。
スズキユウリ+細井美裕《Crowd Cloud》
羽田空港でのインスタレーション, 2021
意味に隠された音を探求する。
さまざまな方向に向けられたホーンから鳴るのは、ひらがなの柔らかい手ざわりを空間に広げつつも「言語」になる手前にとどまる声。記録映像に録音された「ご出発のお客様にお知らせします」というアナウンスは、かえってそれがひとつづきで意味を持った「言葉」であることを際立たせて、普段何気なく聞き流しているときとは異なる質感で響く。
展示のキュレーターを務めたMoMAのパオラ・アントネッリさんは、ふたりの作家のコンセプトをこうまとめる。「異なる言語はときに人と人との障壁となりうる一方で、音はギャップを埋める架け橋となり、摩擦を緩衝するものとなるといいます。とりわけ外国からの来訪者にとっては、新しい環境に徐々に慣れ、そこで自由に意思疎通ができるようになるまでのクッションとして機能していくというのです」。細井さん
まさに言語がそうかもしれませんが、私たちは整理された情報に囲まれていますよね。ある程度、グリッドに沿った状態で物事を考えている。私もそうです。たとえば、道路で信号を見るときは、赤か黄色か青かを認識できればうまくいく。でも本当は3色以外の色も見えている。こうした交通整理はいろいろな領域やレベルで起きていると思います。
自分が鑑賞者としてさまざまな芸術表現を体験することをいいなと思うのは、自分に備わっているけれど火入れしていなかった感度がピリピリ動き出すような感覚があるときです。だから、私の作品からも何かを得てもらうというよりは「自分、ここまで見えていたんだ、聞けていたんだ」ともともと備わっていたセンサーに気づいたり、バランスが崩れて再構築が起きていく体験をしてもらえたらと考えています。
アイデンティティと声。
裏と表を行き来し、ときに最新の音響テクノロジーを用いて作品を空間に響かせて、第23回文化庁メディア芸術祭でアート部門新人賞を受賞するなど注目が集まる細井さん。自身の作品に声というプリミティブな素材を使う理由を、あらためてインタビューの最後に聞いた。彼女にとって、声という楽器はなぜ特別なのだろう。
細井さん
弦やボタンといった明確なファンクションがないですよね。声帯をそういうものだと考えることもできますが、鍵盤を押して音が出るピアノとはかなり違う。つまり、制御しやすいのか制御しづらいのか分からない。それでいて、人間にとっては自分の意志で発する最初の音でもあるのが声です。
トレーニングは可能ですが基本的には身体の特徴に規定されてしまい、逃れられない“自分”でもある。受け止めざるを得ないものだと思うんです。だから声はとても生々しくて、使うことに怖さもあります。「お客様の声」という言い方がありますよね。ここでいう声は、つまり意見。でも、そうした要素を削ぎ落としていったとき、主張や意味に縛られない声がある。私はそういう声をかっこいいと思っているんです。声は意味に偏っている。もちろん、音が意味を持つシステムがあるから人はコミュニケーションができて、目の前にいる誰かや遠くの誰かと意見を交わすことができる。この記事のインタビューもまた、声を文字にすることで、ある一人の考えや活動を伝えようとするメディアだ。
しかし、意味の裏側に隠れた豊かさもあるのではないか。メッセージになりきらない声や音。洋服に置き換えてみる。ブランドの名前やロゴを配することでそれとすぐに分かる洋服や「この服といえば誰々」といった結びつきを生み出す特別な見た目ではないけれど、着る人にとっては内的なものと強く結びついて、意志を持った服。
細井さんが話す「匿名性」というキーワードもヒントになる。必ずしも他と違っている個性をまとうのがファッションだとは限らないのかもしれない。あるときは、匿名的な人物として過ごすほうが落ち着けて、自由に動きまわれたり、ひっそりとスパイのように学びを積み重ねられる時と場所だってある。裏方の自分に似合う服を持っておく。そういうワードローブこそが、決して同じではない一人ひとりの毎日を支えてくれるのかもしれない。
細井美裕 ウェブサイト
miyuhosoi.com