GALERIE VIE

voice vol.10 / 絵本画家・イラストレーター 松本春野「描き切らない自由。」

  • 描き切らない自由。

    voice vol.10 / Haruno Matsumoto

    絵本画家・イラストレーター 松本春野

    Photography | Yurie Nagashima
    Styling | Yuriko E
    Hair and Make-up | Momiji Saito
    Text and Edit | Yoshikatsu Yamato
  • ギャルリー・ヴィーのスタンダードアイテムをご着用いただき、
    多様な分野で活動する方々にインタビューをする“voice”。
    ものづくりに込めたこだわりについて語る、作り手の声とともにお届けします。

    第10回のゲスト・松本春野さんは紙の素地を繊細に残しながら
    水彩の軽やかなタッチで光や風、時間の移ろいを物語に与え、
    登場人物の心の機微を描き出す絵本画家。

    発見の楽しさを子どもに伝え、大人にとっても
    自分のペースで想像を膨らませ、思い出のよりどころになる絵本。
    つくり手の視点から「絵本にしかできないこと」を紐解きます。

  • 絵本というコミュニケーションツール。

    眠る前、静かな絵にしんと心が落ち着く。あるいは、シュールな物語に自由な発想が引き出される。ページをめくるたびに展開する緻密な絵が作り出すファンタジーに惹きこまれ、何度も何度も読んでもらった夜もある。生まれてはじめてふれる物語。たとえ今、タイトルを思い出せないとしても、心の原風景をつくった絵本が人それぞれにあるかもしれない。

    絵本画家でイラストレーターの松本春野さんは、人生が始まったときから身の回りに絵本が溢れていた。祖母で絵本画家のいわさきちひろさんは、青春時代の戦争経験から「世界中のこども みんなに 平和としあわせを」という信念のもと、優しげでありながらも力強く、子どもの揺るぎない生を描いた。

    「ちひろ美術館・東京」は、いわさきちひろさんのアトリエ跡地に建てられ、作品をアーカイブをするだけでなく、親子で楽しめる展覧会や、新旧さまざまな作家の絵本を集めた図書室を併設している。松本さんが生まれたとき、すでにいわさきちひろさんはこの世を去っていたが、家の隣にあったその場所で遊び、たくさんの絵や絵本と向き合った。

    松本さん

    絵本は自分の手でページをめくり、自由なペースで読み進められるメディアです。字が読めなくても絵の連なりから物語が楽しめるので、0歳の赤ちゃんから100歳を超えるお年寄りまで幅広い人に対して優しい芸術です。ひとりで読んでもいいし、誰かと一緒に読むときには、途中で会話を挟んで議論ができる。映像やアニメーションを見ながらお喋りをすると「聞こえない!」となってしまう。だから、みんなで一緒に見ていても、ひとりずつが集中して見ることになります。でも、絵本は誰かと共有ができて、もっと気楽なもの。好きな場所に持ち出して、じっくり没頭してもいいし、途中でやめてもいい。誰かと一緒に読めば、相手の声の色や振動、相手を思いやる温度によって絵の景色が広がっていきます。だから絵本はコミュニケーションツールでもあると思うんです。

  • 黒柳徹子さんの幼少期を描く。

    松本さんが今まさに制作を進めているのは、1976年から続く昼のトーク番組『徹子の部屋』で知られる黒柳徹子さんが、第二次世界大戦が終わりを迎えようとする激動の幼少期を自伝的に描いた『窓ぎわのトットちゃん』のもう一つのお話を絵本化。

    徹子さんの語りに耳を傾けて得た実感をトットちゃんのいきいきとした姿に落とし込み、その背景にある、ささやかな日常の幸せを脅かす戦争を語り継ぐ絵本だ。

    松本さん

    戦争を描くといっても悲惨な出来事だけではありません。空襲警報が解除されたら防空壕から外に出て、空に向かって嬉しそうに伸びをするときの子どものゆるんだ表情。なにげない1日のなかで移り変わる表情や大切な持ち物をぎゅっと握りしめる手元の仕草からも、戦争について語れることがあると考えています。

    けれど、気持ちが明るくなった瞬間のすぐ隣には、家が焼けてしまったり、親の死があった。大切なのは、それが「おとぎ話」なのではなく、同じ言葉を話して、同時代を生きている黒柳徹子さんの子ども時代なんだ、と伝わっていくことだと思っています。

  • 絵本はひとりで作らない。

    松本さんはこれまでにも、地元の小学生がバス通勤をする全盲の男性を助けた実話にもとづく『バスが来ましたよ』(文 由美村嬉々)や、東日本大震災によって一変した生活と、東京電力福島第一原発事故が残した地域への影響を背景に、ふるさとの福島へと帰ってきた子どもを描く『ふくしまからきた子 そつぎょう』(作 松本猛・松本春野)など、社会的なテーマや問いかけを含んだ絵本を発表してきた。松本さんは絵本づくりの過程で、自ら取材を行い、対話を重ねて物語を紡いでいる。

    松本さん

    最近、絵本は、自分だけで作れない、ひとりで作らない、という姿勢が大切だと思っています。体験をした人の言葉を聞き、その節々から悲しみの深さを想像したり、それとは逆にこういう瞬間は楽しかったんだ、嬉しかったんだと知る。デリケートな内容の絵本を作っていると「明るいシーン」を不謹慎かもしれない……と安易に思ってしまうことがあるけれど、苦しい状況のなかであってもふっと笑いが起きた現実があったこともまた絵本に描いて残したいんです。

    そのように出来事の明暗、善悪を決めつけずメッセージが多様な方向性を持つようにに努めるのは、まず、最初に読者として想定される子どもは、背景となる絵を細かなところまで見尽くし、人物の心の機微を見抜く鋭い視点を持っているからだという。

    たとえば、電車の中のシーン。大人はもしかすると「あ、電車だ」と素早く判断して意味を受け取って通りすぎるかもしれないが、子どもは予備知識が少ないからこそ、電車の中にどんな人々が立っているのか、細かなモチーフまで決して見逃さず、登場人物の感情の揺れを感じ取る。なにげない風景にも敏感に反応して疑問を抱くという。

    松本さん

    『窓ぎわのトットちゃん』の絵本に描いた電車には、女性とお年寄り、負傷して帰ってきていた兵隊さんしか乗っていません。理由は、男の人は戦争に行っているから。でも、そのことについて文字の説明がないとしますよね。すると子どもは、なんでそうなっているかに疑問を持ちます。大人にたずねるかもしれません。そうしたら大人は、一緒に悩んだり、調べたり、教えてあげたらいいと思うんです。質問をされたらほっておけないので、大人にとっても知識が増えるいい機会になります。

  • 背景に込めたメッセージ。

    しかし言うまでもなく、絵本は、事実に即したドキュメンタリーの要素だけで出来上がっているのではない。たとえば、「街」を描く。原作にしっかりと街の情報や時代背景が書き込まれている場合は別だが、描き手に委ねられる部分も多い。そこで、創作が行われる。

    「街」では、誰と誰がコミュニケーションを交わしてどんな雰囲気のお店があり、働いている人はどんな表情をしているのか。可能性は多様だからこそ、絵には、描き手の世界の捉え方が出る。松本さんは、子どもに何を伝えたいのかを深く考え、背景をただの背景とせずに、未来への想いを込めるという。

    松本さん

    「こうなってほしい」と願っていることを言葉で説明すると、どうしても現状を批判的に見る視点があるので「説教」のように聞こえてしまったり、攻撃的に響いてしまうことがあります。たとえば「男性も育児に参加しよう」とか「お父さんは育児を”手伝う”のではなく、親のひとりとして一緒に取り組もう」といったことなどです。

    でも、絵本の「家」のシーンで、お父さんやお母さん、おじいちゃんもおばあちゃんがそれぞれの役割を見つけていきいきと過ごしているのを自然に描くと、それは読者にとって「見たことのある風景」になる。こうであってほしいとつくり手として思う社会を、優しい方法で表現できるのは絵本だからこそだと感じています。

  • 絵本を仕上げる引き算の感覚。

    このように、一緒に読んでいる大人が知識を補足したり、取材で聞き取ったエピソードをもとに創作を盛り込み、作り手としてのメッセージを重ねていく絵本だが、本を仕上げる最後の段階では「引き算の感覚」も大切だと松本さんは付け加える。言葉を扱う原作者と絵を担当するイラストレーター、そして、社会との接点を考慮して本の方向性を定める編集者。チームで話し合いをしながら、絵本が過剰にならないように注意深く調整するという。

    松本さん

    たとえば、子どもが絵本のなかで青い色面を見たとします。山の近くで育った子どもはそれを「空」だと思うけれど、暮らしの環境によっては「海」だと思うかもしれない。そのように、曖昧さを活かした絵には、読む側が想像を託せる余地があります。小さい子どもでも、自分なりに積み重ねてきた経験を重ねたり、暮らしている環境に引きつけて読む。私がたずさわってきた絵本には具体的な設定があるものが多いですが、このような「余白」をいつも意識しています。描き切らないことで生まれる想像の自由が大切なんです。絵と言葉を合わせてみた後で言葉を削ることもあれば、砂消しで絵を消すこともあります。

  • GALERIE VIE DIRECTOR’S NOTE

    ギャルリー・ヴィーの洋服は、生地とからだのあいだの「間合い」や、そこに入り込む「空気」を大切にしています。着る人が袖を通して動いたときに、どのようなフォルムをつくりだすのか。大切なのは、着る人それぞれにとって心地よい姿勢でいられて、自分らしいふるまいができることです。

    インド綿を用いたローン生地の染色は、柔らかな風合いが損なわれないよう、生地をリラックスさせながらゆっくりと時間をかけて染め上げています。細かく繊細な縫い代の始末など、手作業の暖かさを感じるデザインにしています。
    こうして、湿度の高い日本の夏でも肌ばなれのいいエアリーな素材の魅力を活かすことを第一に考えつつも、動きや、風でなびいたときに豊かな表情を見せるようにと取り入れたのが、繊細に寄せたギャザー。日常のなかに洋服が落とし込まれたとき、着る人に制限を与えず、しかし、味わいや愛着のよりどころとなるディティールの存在は削ぎ落としすぎずに、そこにとどめる。ギャルリー・ヴィーでは、このバランスをつねに大切にしています。

  • 読者の日常と紐づく絵本。

    大人になるにつれて、人には言葉を読解するスキルや情報を処理する力が身につき、音、光、色、動きなどのさまざまな刺激が複合的に絡み合ったエンターテイメントに触れる機会が増える。

    しかし、震災やコロナウイルスなど、体験したことのない未曾有の事態に見舞われたとき、人は、押し寄せる情報や、目まぐるしくスピーディに展開する物語に疲労や不安を感じたかもしれない。

    絵本は、そんなときも、こちらがゆっくり考えながら向き合えるメディアだ。開けば、いっきに子ども時代に引き戻されて、懐かしさに安らいだり、ミニマルな要素で紡がれる物語で、頭のなかをマッサージをされたような気分になったり。大人の本棚にこそ、絵本という選択肢があってもいいのではないか。

    松本さん

    大人になると子どものときには感じていなかった感覚や経験をプラスして読む楽しさがあると思います。登場人物の表情から身近にいる子どものことを思い浮かべてもいいし、懐かしさに浸ってもいい。すごく抽象的で情報のない絵本によってあわただしい気持ちの波が静まっていくこともあると思います。じっくりと読んでもらえるのは嬉しいけれど、そうじゃない受け取り方もあっていい。絵本はそういうおおらかなものだと思うんです。

    音楽も、集中して聴く日もあれば、より日常に馴染んでいるような状況で聞くこともありますよね。校歌の歌詞に、意味としては共感できなくても、友達と笑い合った感覚だったり、その季節の光の加減だったりは残る。絵本も、そういう体験の記憶と結びついてくれればそれでいい。時代が変わっていくなかでも変わらない人間の心の機微を、リレーのように繋いでいけるのが絵本なのだと思います。

    紙の地を活かした、いわさきちひろさんの水彩。そして、祖母の絵に学びながらも、自らの子ども時代を反映した躍動的な人物像と、取材を通して得た実感を絵にこめていく松本春野さん。ひとりではなく、絵本づくりのチーム全体で大切にする「引き算の感覚」によって紡がれる絵本は、その余白に、読者の感情や思い出が重ねられることで、色を持ち、厚みを増していく。

    服と、それを着る人もまた、読者と絵本のような影響関係にあるかもしれない。おおらかな間合いを持つ服は、人ありきの服。どんな感情で、何が起こったときに着ているのか。悲しいことがあるかもしれないし、つい笑顔になってしまう日もある。人が袖を通して、その人にしかない佇まいが入り込んではじめて、余白に、いきいきとした情感が生まれる。

  • 松本春野 ウェブサイト
    harunomatsumoto.com


    撮影にご協力いただいた「ちひろ美術館・東京」は、いわさきちひろの自宅兼アトリエ跡地に建つ、世界で初めての絵本美術館です。
    いわさきちひろをはじめ、世界各地の絵本画家の原画を紹介する企画展や、さまざまなジャンルの絵本が揃った図書室、カフェも併設されています。
    建築家・内藤廣が手掛ける建築も見どころのひとつ。
    季節の花が咲く「ちひろの庭」を囲み、揺れる木々をそばに感じながら、絵本の世界に夢中になれる空間です。

    東京都練馬区下石神井4-7-2
    西武新宿線上井草駅下車 徒歩7分

    ※開催中の展示や、詳しい営業時間はホームページをご覧ください。

    ちひろ美術館 ウェブサイト
    chihiro.jp
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