voice vol.11
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GALERIE VIE
Archive
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voice vol.17 / Kakuro Sugimoto
わりきれなさと向き合う。
漢方家 杉本 格朗
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voice vol.16 / Asuka Miyata
編み、伝える。
テキスタイル アーティスト 宮田 明日鹿
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voice vol.15 / Masaki Hayashi
ささやかな音が奏でる音楽。
ピアニスト・作曲家 林正樹
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voice vol.14 / Kujira Sakisaka
書くことの不思議。
詩人・国語教室 ことぱ舎 代表 向坂くじら
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voice vol.13 / Satoko Kobiyama
食べ方の実験と愉悦。
山フーズ主宰・小桧山聡子
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voice vol.12 / Yuzu Murakami
読み解き、問う勇気。
美術批評・写真研究 村上由鶴
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voice vol.11 / Renge Ishiyama
永遠に片想い。
電線愛好家・文筆家・俳優・ラジオパーソナリティ 石山蓮華
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voice vol.10 / Haruno Matsumoto
描き切らない自由。
絵本画家・イラストレーター 松本春野
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voice vol.9 / Ami Takahashi
福祉の現場にも、色を。
アフターケア相談所 ゆずりは所長 高橋亜美
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voice vol.8 / Asa Ito
体の側から考える。
美学者 伊藤亜紗
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voice vol.7 / Akiko Wakana
人はつねに地上の一点である。
編集者・文筆家 若菜晃子
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voice vol.6 / Miyu Hosoi
言葉になりきらない声。
サウンドアーティスト 細井美裕
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voice vol.5 / Chiho Asada
映画が求めた第三者。
インティマシー・コーディネーター 浅田智穂
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voice vol.4 / Mariko Kakizaki
自分のクセと遊ぶダンス。
コンテンポラリーダンサー 柿崎麻莉子
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voice vol.3 / Rei Nagai
ただ、立っている。
哲学研究者 永井玲衣
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voice vol.2 / Midori Mitamura
記憶を紡ぎ直すアート。
現代美術作家 三田村光土里
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voice vol.1 / Maki Onishi
肌ざわりがもたらすもの。
建築家 大西麻貴
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永遠に片想い。
voice vol.11 / Renge Ishiyama
電線愛好家・文筆家・俳優・ラジオパーソナリティ
石山蓮華
Photography | Yurie Nagashima
Styling | Yuriko E
Hair and Make-up | Rumi Hirose
Text and Edit | Yoshikatsu Yamato
ギャルリー・ヴィーのスタンダードアイテムをご着用いただき、
多様な分野で活動する方々にインタビューをする“voice”。
ものづくりに込めたこだわりについて語る、作り手の声とともにお届けします。第11回のゲスト・石山蓮華さんは、
外を歩くとき、いつも上を見つめているそう。
その理由は、私たちの生活がとどこおりなく続くために電力を通わせる
ライフラインの「電線」を見つめているから。たわんでいたり、まるまっていたり、
生き物めいた個性的なフォルムにカメラを向け続け、
都市の景観を「美化」するために進められている無電柱化に疑問符を投げかけるなど
尽きることのない電線への愛を著書『電線の恋人』に綴った電線愛好家に、
ライフワークにもなっている電線との片想いについて聞きました。
それがなくては暮らしが成り立たない、インフラとしての電線。
生活はたくさんの「線」に支えられている。たとえば、コンセントから伸びたコードにつながったトースターで朝食のパンに焼き目がつき、寝室の片隅にある充電中のスマートフォンを、今日は今日のかたちでからまっている充電ケーブルから引き抜いて、友人や仕事相手への連絡を返す。
観葉植物に目を凝らすと、葉脈が透けている。人間の内側には血管がある。栄養やエネルギー、情報や信号がさまざまな「線」の内側を行き来する。外にあるのは、電線だ。そのライフラインを見つめ、撮影し、言葉にしてきた人がいる。電線愛好家、日本電線工業会公認・電線アンバサダーとして活動する石山蓮華さんは、つぶさな観察と妄想、丁寧な言語化を経て、じっくりと深めた電線愛を1冊の本にまとめた。『電線の恋人』(平凡社)はこう書き出される。「私は電線の恋人だ。気づいたらもう好きだった」。石山さん
すこし素朴な言い方になりますが、電線やケーブル類を私が面白いと感じるのは、モノとモノを「繋ぐ」という役割や意味が物理的な「線」としてそのまま存在しているからです。多くの人にとっての電線は道を歩けばいつもすぐそこにあるのに、あまり気づかれていない。「見えているのに意識されていないもの」のひとつが電線だなあと思ってきました。
その一方で、日本の景観について語る場面では急に電線が注目される。「電線は日本の景観を汚すもの」だと断定され、その前提をもとに語られることが多いです。そこで言われていることは本当に正しいのか? という自分なりの疑問を検証してみる、自由研究としてやってみる。それを言葉にして本にまとめたのが『電線の恋人』です。
悔し涙をこらえているとき、いつも電線があった。
電線が気になるようになったのは、小学3年生のとき。自営業を営む父親の事務所があった赤羽の街を散歩中、ふと「電線って、生きているような姿をしているなあ」と思った。それが電線と目が合った最初の記憶だ。
また、当時の石山さんは、朝顔の生育過程をスケッチする課題で、伸びていくツルにもなんともいえない興味を持ったという。葉っぱや茎の表面に生えている細かい産毛を見たり、ミクロな眺めを楽しむ子どもだった。
石山さん
中学生のとき、3人の友達がいました。その子たちとはやたらと仲が良く、他のクラスメイトとはほぼ、没交渉。卒業式の日もその3人と過ごしていたけれど、相手にはそれぞれ個別に友達がいる。私は彼女たちが他の友達と写真を撮りはじめると、「これからも元気でねー」と声を掛けあったり、写真を撮りあう相手がいなくなりました。すぐにやることがなくなって、帰ろ、と校門を出て上を見たら電線があったんです。そのときに、ふと「電線あるわ」と思った。電線を目でなぞりながら、たどるように歩いて家に帰りました。
思えば、私にとって中学生活は暗黒時代で、落ち込んだり悔しくて泣くことが多かったと思います。下を見ていると涙が出てきてしまうから、頑張って我慢しようとして上を向いたりするじゃないですか。すると、そこにはいつも電線があった。私のなかで、そういう当時の心情とか身体的な動作、現実の景観がリンクしているのかな。挫けそうなとき「ずっとそこにいてくれたな」っていう感じがあるんですよね。
日常に伴走するものたち。
テレビ番組『タモリ倶楽部』には、送電鉄塔のマニアに混じって電柱派として出演。初の著書『犬もどき読書日記』では、石山さんが10歳から続けてきた芸能活動の仕事の合間などに「黙々と読んだ」小説や人文書、エッセイなど、幅広いジャンルの本から受け取った視点を介して自らの経験をまじえて読書録を書いた。
石山さんが綴る文章やイベントでの出演の際に滲み出ていたマニア的な好奇心から、TBSラジオ『こねくと』のメインパーソナリティに抜擢。月曜から木曜、13:00から15:30まで、曜日ごとに変わる、パンサー・菅良太郎さん、でか美ちゃん、東京03・飯塚悟志さん、土屋礼央さんらパートナーと一緒に、話題に登ることはなかったけれど、なんとなくみんなが気になっているささやかな興味関心をきっかけに繋がりあう2時間半だ。動物言語学者、土壌学者などアカデミックな分野の講師をゲストに招いたり、愛好家に話を聞くコーナーなど、知識欲をくすぐるラジオ番組を進行している。
石山さん
番組の名前である『こねくと』の通り、誰かの「教えて?」と誰かの「知ってる!」を繋げるラジオになったらいいなと思っています。私にとって、ラジオは正座をして聴くようなものではなく、仕事や家事、通勤、通学の合間に聴けて、たまに面白いことがある。そんな日常に伴走するメディアです。ラジオでなんとなく聞き流した話題でも、そういえばあれって、と、後から興味が芽吹くことがありますよね。河川敷の草のなかを歩いていると、洋服にひっつき虫がつくようなイメージです。通った後に気づくというか、時差がありますよね。ラジオならそういう受け渡し方ができるのかなって思います。
水曜の「愛好家同盟」というコーナーでは、東京03の飯塚悟志さんと一緒に、何かのマニア、たとえば、お城や小屋、階段に、水族館っぽい場所のマニアなど、色々な愛好家にお越しいただいて偏愛する対象を紹介してもらっています。自分では気にもとめていなかったことをこんなに愛しているひとがいるんだと驚くと同時に、学校で習ったときの角度とは全然違う視点でそのトピックについて聞くと、面白みやロマンの部分がキャッチできるようになって、見方が変わっていくんですよね。
いつまで経っても片想い、だからいい。
石山さんは仕事の帰り、家までの道すがらに電線があると「ああ、電線いいなあ」と心が穏やかになるなど、日常的にただただ愛でる行為をしながらも、電線アンバサダーへの就任後は、リサイクル工場に足を運ぶなど、電線に関わるプロフェッショナルの仕事や製造過程を取材してきた。
電線のこれまでとこれから。形や質感はなぜそうなっているのか。『新世紀エヴァンゲリオン』といったアニメや、実写映画、漫画、太宰治の小説『人間失格』、絵画……。新旧さまざま、国内外の作品に表れている電線に注目して、作品を分析するなど電線への執念は深い。『電線の恋人』を読み進めていくと、電線というものが、いかに自分たちの生活環境にあまねく溶け込み文化的な創作物に描かれてきたか、あらためて気づかされる。石山さん
とはいえ、いつまで経っても電線との関係は「片想い」なんですよね。私はそのことも好きです。人間相手に片想いをすると自分だけでなく、時に相手もめちゃくちゃ傷つくけれど、電線の場合、相手からのリアクションはないし、相手も傷つかないと保証されているから安心できる。人間相手だと、この人はどう感じるかなあ、とか、行動に移すと反応がありますよね。相手の反応をどう受け取るのか、解釈も色々です。だから、恋愛に限らず人と人の深い関係には、コミュニケーションの豊かさがあると同時に感情の浮き沈みや傷つきなど、さまざまなことが巻き起こる。でも、電線には絶対にない。だからこそ、もっと知りたいと思う気持ちを一方的に実践できるし愛を煮詰めていけるんです。
電線を撮影しようと眺めていて角度を変えると、これもいいなあ、こっちもいいなあ、と表情の変化をいつまでも味わっていられます。毎日見ている電線でも天気によって違うし自分自身も毎日ゆっくりと変化しているから、調子がいいとき、悪いときで見え方は変わっていく。でも、電線そのものは変化しない。そういう関係が、愛でるリズムとしてちょうどいいのかもしれません。
GALERIE VIE DIRECTOR’S NOTE
ギャルリー・ヴィーの定番のデニムは、3年の構想を経て生まれた永遠のベーシック。デニムの歴史を紐解き、あくまでもオーセンティックなシルエットやディティールを突き詰めた一本ですが、着てみると「普通」ではありません。デニムらしからぬ、しっとりとしたタッチは素肌にまとうインナーウェアによく使用される高級素材、西インド諸島で育ったシーアイランドコットンの落ち綿によって実現されています。
「ごわごわとした着心地」というイメージを払拭し、トップスを選ばない普遍的な合わせやすさも相まって、自然と手が伸びるという声も多いデニムですが、お尻の形など、着用時の見た目のバランスにも周到にこだわりました。野暮ったくないけれど、体と生地の間には絶妙に空気が含まれるシルエット。天然素材ならではの吸湿、保温性に優れた機能性により、春夏も快適に過ごすことができます。
古くは、働くための作業服だった丈夫なデニムは、時代を経て、さまざまなファッションアイコンによる着こなしなど時間を経ても残り続け、普遍的なアイテムになりました。洋服の売り場では当たり前に目にするデニムですが、シーアイランドコットンを採用する前例の多くない素材選び、吟味されつくしたディテールを散りばめて、定番中の定番を目指して完成した1本です。
こっそり名前をつけてみる。
文筆家として、あるいは出演者としての石山さんは、電線についてメディアで語る機会は増えたが、日々のなかで、友達と電線について熱く語ったり、その偏愛を誰かに共有することはほぼないという。「電線を愛でるのが好き」と言ってすぐに共感を寄せてくれるひとは少ない。他人に電線愛を受け渡せるようになったのは、本を書くという言語化の作業を経たからだと振り返る。さまざまな協力があって工場に出向き、プロに会う機会があるものの、基本的には、1人でこつこつと電線についての知識を広げている。
映画鑑賞や読書など、広くイメージが共有されている「趣味」がある一方で、石山さんのように、この世の中には、そんなことに熱中しているんだ、という愛好家が存在している。誰かとのコミュニケーションのツールになり、そこで生まれる繋がりが日常をいきいきとさせてくれる趣味もある一方で、そうではない、自分だけの偏愛をひっそりと持つのは、自分が心地よく過ごす助けになるかもしれない。石山さん
きっと「野菜を刻むこと」さえも考え出すと奥深いですよね。食材の材質、切る姿勢と包丁の切れ味、リズム感覚も関わっているかもしれません。普段何気なくやっている「野菜をどう切るか」ということにも、食文化との関連や歴史があるはずなんです。なんとなく好きなんだよなあ、と感じているものにこっそり名前をつけてみると、自分のなかで腑に落ちるし、そのあとも、指を差して確認できます。あ、これ好きなことだ、と注目するようになると、もっと細かい部分がだんだん見えてくる。電線も、撮り溜めた写真を分類して名前を付けると確認ができて、意識化しやすくなります。あまりに名付けが増えると、自分の中でぎゅうぎゅうになって疲れることもあるかもしれないけれど、あくまでマイペースであればつらいことでもないし、飽きちゃったと思えばやめていい。
私は、振り返ってみると、電線っていいなあ、と子どものときに思って、その地盤の底の方にあるそれを掘り出して言葉にして、おそるおそる人に手渡すようになるまで15年はかかっているんです。熱中できる何かに劇的に出会うこともあれば、じわじわ気づくこともある。何かの面白さや魅力に気づくのは、実は時間の経過を伴うことだと思うし、すぐに誰かと共有できる好きなことがないとだめだってことはないんじゃないかと思っています。
普段、当たり前のように身の回りにあって目にしているものを、いつもよりすこし時間をかけて観察してみる。思いがけない側面が見えてくる。石山さんのように、個人的な感情と結びついてる電線の風景が、さまざまな時間を経て特別な心象風景になる。人と物。互いに意思を交わし合うことは叶わなくても、「いつもそこにいてくれた」という安心感をさりげなく支えてくれる物がある。
日常に伴奏する洋服、たとえば、よく知っているはずのデニムにもまだ知らない着心地があるかもしれない。自分の生活に思いがけずフィットするかもしれない。アイテムそれ自体は変化をしなくても、自分の気分や見方の変化によって、まだ見ぬ魅力を見せるかもしれない。それは、誰かと共有できたらもちろんいいけれど、着る人と物、その間だけでじっくりと紡いでいく関係性であってもいいのだろう。
- 石山蓮華
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