GALERIE VIE

voice vol.19 / 精神科医など 星野 概念 「心のための対話。」

  • 心のための対話。

    voice vol.19 / Gainen Hoshino

    精神科医など

    星野 概念

    Photography | Yurie Nagashima
    Styling | Yuriko E
    Text and Edit | Yoshikatsu Yamato

    ギャルリー・ヴィーのスタンダードアイテムをご着用いただき、
    多様な分野で活動する方々にインタビューをする“voice”。
    ものづくりに込めたこだわりについて語る、作り手の声とともにお届けします。

    第19回のゲスト・星野概念さんは、精神科医として
    総合病院やクリニックでの勤務、訪問診療などのかたわら
    著書や雑誌での執筆や音楽活動も行なっている。

    精神科医として、それ以前に、ひとりの人間として、
    さまざまな境遇や、心模様を持つ人々と言葉をかわす星野さんに
    日々の会話のなかで心がけられる対話の仕方や、
    精神医療におけるあたらしい潮流、オープンダイアローグについて聞いた。

    心のゲートキーパーとして。

    自分ではない誰かと話す。スパッと答えが出て、モヤモヤが晴れるとは限らない。でも、どうにか言葉にしていると、自分はこんなふうに考えていたのか、感じていたのか、と思ったりする。あるいは、ここに目をそむけていたのか、と心のブラインドスポットに気づいたりする。とはいえ、個人主義がさらに進み、孤立化が深まるなかで、気軽に「自分の話」をするのは簡単ではない。いざ、勇気を出してみたら、「急に重い話をどうしたの?」と言われてしまったり。帰り道に、ずけずけと自分の話ばかりしてしまったな、と後悔したり、人の心境はからまりやすい。

    医療は社会のなかのセイフティネットとしてある。精神科は、人の心を扱ってきた。カウンセリングや処方で心の不調に対応したり、学校や施設にはカウンセリングルームがあり、緊急時に精神の混乱状態が引き起こされてしまう局面でも、精神科医の出番はある。星野概念さんは、総合病院、専門のクリニック、訪問診療、子どもの診察、漢方の相談所などに曜日ごとに出向き、精神科医として人の話を聞いてきた。

    星野さん

    以前は大学病院に常勤していましたが、2年ほど前から、色々な場所を移動するようになりました。“修行”が必要だと思ってのことです。というのも、ひとつの場所にいるとどうしてもその場所の色に染まっていく感じがあって。大人が来る病院にいると子どもには会えませんし、訪問診療のない病院では、通院が難しい高齢者の方と会うのは難しい。僕は、色々な悩みを持っている人をひとまず受け入れることができる、ゲートキーパーのような存在になりたいんですね。的外れでなく話が聞けて、より専門性の高い医師が必要ならば紹介する。困った人は、困ったままに飛んでいたら、どんどん余裕がなくなってしまうけれど、止まり木のようなものがあれば、ひとまずはそこに止まり、その後のことを考えられると思います。

    そのジャッジメントは、ほんとうか。

    カウンセリングを行い、精神医学の専門的な知識にのっとって診断をして、治療する。星野さんは、そのプロセスのなかで、ある歯痒さを感じてきたという。それは、医者である、ということの専門性からくるパワーを持ってしまうことである。医師である限り、診断をして治療をするが、メンタルヘルスにおいては、診断というジャッジメントが相談者に与える影響は大きいという。

    星野さん

    たとえば、肝臓について診断をするなら、あなたは肝臓の病気です、と言ったときにも、それ以外のあなたは病気ではない、ということは明らかで境界線は分かりやすいですよね。でも、メンタルヘルスの領域では、まず“心”というものが曖昧でひとつの臓器に集約できないです。だから、あなたの心は病気です、うつ病です、と診断すると、まるであなたの全部が病気である、というふうに伝わってしまいかねないのです。

    心の不調は、レントゲンのように目に見えるかたちではあらわれない。触れて確かめることもできない。だからこそ、その繊細な作業には専門家が必要だ。それはわかりきっていることだけれど、星野さんは、そのことをすんなり飲み込まずにいる。

    星野さん

    たとえば、妄想の定義とは、非現実的なことを圧倒的な確信を持って話していて、他者が訂正をしようとしても訂正しないこと、です。こういった症状の定義をさまざまに学んだ医師としては、相談者の話を聞き、僕にとって、非現実的だと思えることを話していたら、妄想を持っている、と判断するわけです。でも、僕にとってはそうでも、その人の世界観からするとリアルなことなわけですよね。周りはそれを受け取ってくれなくて困っているわけです。医師は妄想や幻聴、抑うつなど専門用語のラベルを貼ってわかった気になって、薬を出したり、入院をさせるけれど、実際に困っていることや話を聞くプロセスは取りこぼしてきたのではないか、とも感じてきました。

    ケアの場づくり、オープンダイアローグ。

    もっと話を聞こう、ということから始まった精神医療のあたらしいムーブメントが、フィンランドの地方都市、ラップランドで発祥した「オープンダイアローグ」である。治療者と患者だけでなく、看護師や心理士、家族や友人といった関係者が集まり複数人で対話を行う。1対1のカウンセリングの歴史は深く、たくさんの知恵が蓄積されてきたが、その一方で、考え直しも必要だとカウンター的に生まれた治療法のひとつだという。星野さんは現在、オープンダイアローグへの理解を深めるために、海外への研修や研究会に積極的に出向いている。

    星野さん

    カウンセリングに訪れた人が医療者と1対1で話をしていると、どうしても、医師の専門性の高さゆえに、ヒエラルキーが生まれてしまうんですね。専門的にみたらこうですよ、というジャッジが直接に手渡されすぎてしまう。これまでは、相談者の話を聞き終わった後に医師などの専門家が、あの方はこうだよね、こうかもしれないね、と相談をしていました。でも、それって、2回目に訪れた患者さんの体験からしてみると、自分の知りえないところで判断が下されていて、蚊帳の外というか、ワープをしたような気持ちになってしまいます。

    オープンダイアローグでは、相談者抜きにその人の話をしない、というルールが設けられる。だから、対話は、相談者の目の前でなされる。相談者が話したら、「ちょっと待ってくださいね」と申し置きをしたうえで、「今の話からすると、こうかもしれませんね。いやでも、どうだろう? さっきの話を聞いて、もしかしたら薬もあったほうがいいかもしれない、と思えてきたんです。でも、薬を飲みたくなさそうな感じもあるし、どう思いますか」といったように、複数人で対話をしていく。今までは不可視になっていたプロセスが開かれ、相談者は自分についてのケアの言葉を聞く。

    星野さん

    すると、相談者がひとりで苦しんでいたドミナント(支配的)な物語が、対話のなかでオルタナティブなものに書き換えられていくんですね。相談者は、対話に出てきた言葉を聞き流してもいいし、そこに置かれた言葉を受け取ってもいい。なにげないこぼれ話で、わだかまりがなくなったりする。自分のことについての対話を、ちょっと距離をもって眺めながら、一緒に考える感じです。数人で輪になって話すので、言葉を誰かに手渡す、というよりは、今、こういうことがなんとなく浮かんできた、というふうに、言葉を置く感じで話すことができます。その言葉を受け取るかどうかには、選択の余地があるというか、スペースがあるんですね。対話を繰り返していくと、心境の変化だったり、なにかしらの動きが出てくるんですよね。

    実況中継、という話し方のコツ。

    カウンセリングやオープンダイアローグ。そういった専門的な場所がある一方で、その手前には、日常で行われている「相談事」の場所もまたあるだろう。

    たとえば、飲み会の席で、あるいは職場からの帰り道などに、同僚からぽろっと漏れた悩みに耳を傾けていると、ん? けっこう深刻そうである。「大丈夫そうかな」と思うけれど、なんと答えたらいいかは、正直、難しい。心配の言葉をかけることすらも相手の状態を「ふつう」ではないとジャッジすることにならないか。鼓舞をして励ますことも、相手を無理させることにならないか。日常にも、デリケートな対話の場面はふっと訪れる。

    星野さん

    関係性によると思うのですが、距離が近くて信頼関係があるとしたら、 え!? ちょっと大丈夫? みたいな反応はアリじゃないですか。でも、プライベートな関係性が深いわけではないから瞬発的でエモーショナルな反応はできないのだけど、大事に思っている、という距離感ならば、今、心配な気持ちが湧いてきてるんだよね、みたいなことを伝えるというか、つぶやく、みたいな仕方で、自分の気持ちを実況中継をするのがいいと思います。もしかしたら自分のコンディションの問題かもしれないからよくわかんないんだけど、話を聞いていて、なんとなく心配だな、みたいな気持ちが出てきています、みたいな伝え方です(笑)。いや、これって、ややこしいですよ。でも、ややこしいほうが、ほどよく曖昧になるので相手に衝撃を与えない。実況中継のように、こっちの思いをぽんと言葉にして置いてみたら、「実は・・・」となるかもしれないし、ならないかもしれない。相手が決められますよね。これを“垂直の対話”と言ったりします。なにかを言葉にするときって、まず、内側に言葉が湧いてきますよね。それを、水平に相手に差し出すかどうか、というプロセスがある。まず、垂直の段階の言葉を実況中継してみるんですね。

    もちろん、星野さんは、思いっきり心配であることを伝えたり、思いがけない言葉をバーンと手渡すエモーショナルなリアクションが、いい場合もある、と付け加える。そんな直接性によって、突破口が見えてくることもあるだろう。けれど、心身がしんどいときには、それが思いがけない影響になってしまうこともある。

    さらに、日常のなかでの相談事において、星野さんが気を配ってみるといい、と話してくれたのは、聞く人、相談を受ける人の安全だ。精神的に大変な状況があるとして、それを、身の回りのプロではない人が聞き、すべてを引き受けなければならない、ということはない。人と人の相談では、聞く側の安全も尊重されなければならないという。

    星野さん

    なんというか、設定が大事だと思います。たとえば、飲みに行って、誰かに思わず悩みを話してしまうと、それはお前も悪いよ、とか思わぬ返答があったりする。あるいは、思いがけず重い話がはじまっちゃったな、という場面ってありますよね。極端に言うとですが、そのとき、まず30分間話そう、と提案してみる。時間を決めてみるんです。すると、その間はその人の時間だから、話しすぎかな、と思わなくていいし、聞く方の安全も保たれると思うんですね。クリニックだったり病院では、タイムマネジメントも含めて専門家がするという前提があると思うんですけど、場の空気にまかせていくと、いつも聞き役になって、なんとなく疲れてしまう気の毒な役回りのひとができてしまう。ちょっとわざとらしいかもしれないですが、設定とか、約束事をすることで、声を出しづらい人や弱い立場の人が、なんとなく疲れてしまうということを防げたりすると思います。

    GALERIE VIE DIRECTOR’S NOTE

    衣服の「風合い」とは、たて糸とよこ糸の交差、重なり方によって作り出されます。つまり、あるひとつのファブリックは、糸と糸の関係性や、糸と糸が織りなす対話がかたちになったもの、といってみてもいいかもしれません。太さや色など、個性の異なる糸が織り上げられることで、独特のタッチや柄が表現されるのです。

    2種類の異なる縞が交互に配されるオルタネイトストライプのシャツは、ごくわずかに太さの違うたて糸を使っています。すると、生地の表面はフラットにならず、凹凸が生まれ、肌離れのいいタッチになります。均質すぎないその表面感によって、肩肘をはらずに身につけることのできる、やわらかな風合いのシャツになるのです。また、大きなポケットをはじめ、カバーオールに使用されるディテールを組み合わせています。袖の付け方はジャケットを作る際の角度とすることで、アウターを羽織っているようでもあり、合わせるボトムスによって、かちっとした雰囲気で着ることもできます。

    不確実性のなかに身をおき続けること。

    会話は、なんて奥が深いんだろう。星野さんにインタビューをしていると、そんな素朴な感想を抱く。日常的な会話から、専門家による対話まで。身の回りの誰かが困っていそうなとき、デリケートなことだから、人それぞれだから、と、他者への配慮ゆえに線引きをして孤立しあってしまうより、ちょっとした対話の方法を知っておくといいかもしれない。正解はないけれど、対話におけるさりげない言葉が、誰かの深刻な気持ちにちょっと風を通せるかもしれない。

    さいごに、星野さんが人と会話をするときに大切にしていることを聞いた。

    星野さん

    いつも感情のことを考えよう、と思っています。たとえば、考えていることも大事ですが、考えていることや話していることって自己調整したり無理ができる。でも、不安がいっぱい、という感情は調整できないんですね。いつのまにか、いっぱいになってしまう。感情っていうのはそういうことです。そういう部分に思いを馳せようと思っています。ただ、医師としては時間の制約もあります。だから、今日のところはひとまずここで着地をしておきましょうか、という話し方をすることもある。オープンダイアローグの営みのなかで生まれた大切な言葉で、不確実性のなかに身を置く、というのがあります。確定させるのが診断であり、一方的に相手をやりこめるのが論破です。そうではなく、不確実なまま対話を続ける。対話の目的は、対話をし続けること。禅問答のようですが、そうして話を続けるなかで、なにかしらの動きを生み出していけたらいいと思います。

    星野さん着用アイテム

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