GALERIE VIE

voice vol.14

  • 書くことの不思議。

    voice vol.14 / Kujira Sakisaka

    詩人・国語教室 ことぱ舎 代表

    向坂くじら

    Photography | Yurie Nagashima
    Styling | Yuriko E
    Hair and Make-up | Rumi Hirose
    Text and Edit | Yoshikatsu Yamato
  • ギャルリー・ヴィーのスタンダードアイテムをご着用いただき、
    多様な分野で活動する方々にインタビューをする“voice”。
    ものづくりに込めたこだわりについて語る、作り手の声とともにお届けします。

    第14回のゲスト・向坂くじらさんは、詩人であり、
    国語教室 ことぱ舎 の代表として、小学生から高校生に国語を教えています。
    2022年には第一詩集『とても小さな理解のための』、
    2023年には初のエッセイ集として『夫婦間における愛の適温』を刊行しました。

    詩、そして、読解問題の課題文。一見、かけ離れているような言葉を間に置き、
    さまざまな人と関わり、対話を重ねてきた向坂さん。
    言葉を発することへの「苦手意識」とはなんなのか、
    文章を読む経験が、書くことに接続されていく体験について聞きました。

  • 詩をつくること、教えること。

    向坂くじらさんは、大学に在籍中から、詩を書き、朗読のライブをしていた。目の前に人が立って、その人が言葉を放つ。すると、少なくともそこに居合わせた人は、その声を聞く。肉体から発された音は、書かれた文章を読むときに読者が抱く疑問、つまづきをゆうに超え、空気の震えとして受け取られる。詩人の向坂くじらさんは、活動の初期に「どうやって詩を発表したらよいのか、あまりわからなくて」と朗読をはじめた。朗読は「てっとり早い発表の方法」だったのだ。

    さらに、当時、向坂さんは、家庭教師や塾講師のアルバイトをしていた。受験に合格するための文章の読み方、問題の解き方を教えた。詩のワークショップで講師をすることもあった。詩人であり、教師。すでにそのときから、詩を書くこと、教科としての国語を教えることが同居していた。

    そして、現在、埼玉県の国語教室 ことぱ舎で、日々、子どもたちと向き合い、個別指導をおこなっている。2022年には第一詩集『とても小さな理解のための』、2023年には『夫婦間における愛の適温』を刊行。向坂さんの経歴を聞いていると、ああ、そうなのかとすんなりと頷いてしまいそうになる。しかし、ちょっと待ってほしい。「詩」と「国語の受験指導」。なんとも意外な取り合わせ。このふたつは、どういうふうに同居をはじめたのだろう?

    向坂さん

    そもそも、詩というものは食えない、という考え方が身近にありました。それはけっして絶望などではなくて、ごく普通なこととして。その一方で、大阪で「釜ヶ崎芸術大学」を開講し、アートプロジェクトを通して地域との協働をはかる詩人・詩業家と名乗る事業家、上田假奈代さんの活動を知り、手伝わせていただく経験がありました。そのときに国語教室を開くとは思っていませんでしたが、将来、なにか自分の事業をはじめるかもしれない、とは、ぼんやり思っていたかもしれません。

    教えることは好きです。大学を卒業して内定が決まっていた会社に、就職をしないと決めた後も、塾講師や家庭教師のアルバイトは続けていました。でも、そのときから、自分のなかに矛盾を感じるようになったんです。試験問題を解けるようになってもらうために「この読み方は、こう違う」と子どもたちに伝えている自分。一方、詩の講座で「詩の読み方は、読者の勝手なので、作者は何も文句を言えません」と言っている自分。語彙を覚え、文法を覚えて、反復練習をして身につけていく学習が、書くことや表現とそれほどかけ離れているものとは思わないのに、自分の出力が真っ二つに分かれて、融合していない。そのことが気がかりでした。

  • 言葉を放つことの喜びを知る学習塾。

    学習と表現。「どちらかが大事、とかではない」と思った。そして、国語教室を自ら開く。埼玉県の桶川市にある「国語教室 ことぱ舎」は、国語専門の少人数制、寺子屋形式の学習塾。そこでは、読み、書くことのために必要になる単語や文法といった基礎知識を伝えながら、「読むこと」「書くこと」の可能性を見つけてもらうために、言葉を好きになり、創造的な言葉の力を身につけることをめざす。

    向坂さん

    さきほど、矛盾について話しましたが、その話をすると「勉強の不自由さが嫌だったんだ」と受け取られることが多いです。でも、そうではない。そもそも私は、教えることが好きだし、読解問題すなわち不自由である、とは思っていません。「表現は自由だからいいよね」とか「お勉強には正解があるけど、表現には正解はない」という言葉が飛び交っているけれど、はい、これは、ある意味で正しい。確かに自由だし、正解も不正解もない。それに教育のアプローチとしてそういうふうに考えてもらうのが効果的な段階もあります。周りの人への配慮として正しいこともあります。

    けれど、自分の書いた詩に対して、「正解はないんだし、全部いいものだ」とは思えないときがありますよね。書き手として、自分が書いたものが未熟な気がするから直したり、次のものを書く。なんでもありだと思われているものの方が、自分が作者になると全然シビアであったりする。そのとき、どうしたらより良くできるのか知りたい、と思いますよね。それに「正解はないから」と言われると、ちょっと違和感がありませんか?

    文法という共通言語。

    そうして向坂さんは、国語教室で、教科指導と創作指導を接続しようと試みた。「これは創作だから自由、でも、これは記述問題だから不自由ですよ」といった伝え方はしない。両方を大事に思っている、ということを伝える。そのために、さりげなく橋を渡す。どちらの時間でも文法について話す。両方を同じ言葉で喋る、説明を分けない、ということを意識してやっている。言葉の地平とは、あれこれと分かれ、それぞれに別々のルールがあるわけではないのだ。

    向坂さん

    読解問題を読んでいるとき、この文章はこの表現が面白い、という読み方をします。たとえば、「この助詞は ”が” でも ”は” でもいいところを “も” にしている」とか。そして、作文をつくるときにも、この助詞はこれでいいのか、という話をするんです。

    でも、この話ができるようになるためには、まず「助詞」という言葉を子どもたちが知ってくれていないといけないですよね。文法を教えるのは、言葉の仕組みについて一緒に話すための共通言語を作っている意識です。言葉の仕組みについての視点は、詩を書くこと、記述問題に答えること、読書感想文を書くこと、読解問題を解くこと、それぞれに用いることができます。

  • 書くのが苦手、という場合。

    では、と、向坂さんに聞いてみた。書くのが苦手、という子どもにどんなアプローチをしているんですか。子ども、大人に関係なく、多くの人が抱いたことのある苦手意識、「書くのが苦手」。向坂さんの塾は対話式であるそうだが、例えば、目の前にいる人が書くことにつまづきを感じていたとする。そのとき、どのように話しかけて、苦手意識とのいい付き合い方へ導いていくのだろう。

    向坂さん

    よくするのは、日記を書いてもらうこと。詩のワークショップで出会う大人の方もそうですが、苦手意識を持っているひとは「書くことがない」とおっしゃるんですね。で、そこには「大事なことしか書いてはいけない」という前提がある。いやいや、そんなことはない。しかも、正しい言葉使いで出力しないといけないという気持ちがそこに重なると、そりゃあ書くのも大変ですよね。その思考のクセをほぐしたい。だから「昨日の、どうでもいいことばっかり書いてね」とお願いします。そして、清書は後でできるからと、まずは間違いを不安に思ったりせずに書いてもらう。

    すると、だいたい面白いんです。一見、本人は「つまんない」「とるにたらないこと」だと決めつけていることの方が、かえって文章にしてみると面白い、ということが起きます。「書く」ということの前には、必ず、「感じる」や「考える」という時間がある。それがぽろっと出てきたり、どんどん膨らんでいく。私は、言葉を間に挟んで、それを受け取るひととして「これを私はこう読みました」、「ここが面白いと思った」、「ここは分からないけど、その分からなさが面白かった」と率直に伝えます。するとそれは書き手が意図していた部分と違っていたりする。この「ズレ」が起きる、ということにも慣れてもらう。それに、最近、日記の本が豊作です。古賀及子さんとか、岸政彦さんなどの面白い本が出まくっているので、それを一緒に読みます。すると、ささいなことが面白い、ということを感じ取ってくれる。一見、どうでもいいようなことが書かれたものでも面白いなあ、という認識があると、自分が書くことにもつながっていきます。つまり、書くことは、読むことから始まると思うんです。

  • GALERIE VIE DIRECTOR’S NOTE

    とるにたらないことの積み重ねで、奥行きのある洋服は生まれる、と考えています。このブルーのシャツには、いくつかの「混在」があります。まず、生地は高密度に織り上げたコットンのシャツ生地。これは直線的なデザインのメンズウェアに用いられてきたものです。それを、丸みを描くシルエットに仕上げました。横からみた時に、シャツテールの角度をゆるやかにし、そこにも曲線が現れます。さらに、柔と硬。風に広がる柔らかなシャツですが、襟やカフスは芯地を硬めに設計。おおらかさと緊張感を同居させています。さらに、ブルーの濃度はぎゅっと濃いめとしながらも、比翼ボタンの仕様でディティールを隠し、慎ましく。ここでは、視覚的に感じられるアクセントの強と弱を掛け合わせています。

    このように、ギャルリー・ヴィーの服は、一方向にテイストを偏らせるのではなく、両方を掛け合わせています。既視感があるような、しかし、ちょっと違うような。そんなあり方の洋服は、着る人のパーソナリティやその人のスタイリングの仕方によって、多様な表現を見せるのではなでいしょうか。日常に馴染む服でありながらも、落とし所は1つに定まらないようにズレを生みだす。細かなディティールの掛け合わせによって、実は、意外性のある服づくりをおこなっているのです。

  • 詩は、自己表現なのか。

    「ここで、向坂さんの詩を読んでみたい。第一詩集にこんな詩がある。タイトルは「潮鳴り」。

    となりのアパートはほとんど空室で
    一階の
    一部屋だけ
    洗濯ものが干してある
    その窓から
    毎朝 女の歌が聞こえる
    曲は
    流行に疎いわたしも
    口ずさめるようなヒットソング
    おおぜいの観客か
    さもなくば海か
    を前にしたような
    すっきりと跳ねる声が流れてくると
    わたしも洗いものをしながら
    波しぶきのひとつになってしまう
    あんな楽器が
    あんなひとつの円い空洞が
    だだ広いアパートの
    ちいさく仕切られた一階の
    さらにちいさく仕切られた
    ちいさな部屋にあって
    これから洗濯ものをとりこんで
    たたんだりする
    『とても小さな理解のための』(しろねこ社)より 向坂さんに、また聞いてみる。詩、とはなんですか。どんな言葉の用い方をしていたら、詩ですか。それは自己表現なのでしょうか。

    向坂さん

    講座では、はっきり「自分が詩だと言えば、詩です」と言っています。これは本当にはっきりと。身も蓋もないけれど、そうだと思います。自分が詩だと言えば、詩。発表してください。山田亮太さんの『オバマ・グーグル』のように、Googleの検索結果の引用で作られた詩もあります。なので、言い張ってください。そう言っています。

    詩が自己表現か、どうか。さまざまな考え方があると思いますが、私は詩を書いているとき、自分のことを表現しようとは思っていなくて。関心はあります。自分って不思議ですよね。でも、なんでしょうね。小さいときに、「弟」っていうのは一人しかいなくて、友達の弟は自分の弟ではない、っていうのは不思議だなと思ったんですね。いろんなことがよくわからない。不思議である。そういうことが詩になっていく。むしろ、自分じゃないものに目を向けることが大事なのではないか。もちろん、暮らしていると、自分の扱い難さ、つかみ難さにうんざりするときもあります。投げ出せない課題です。でも、ときどきそれを宙吊りにしておくために、自分じゃないものから考えるのって、いい時間だなって思っています。

  • 言葉は、ふいに、隣接するものと関係を持ちはじめる。たとえば、さきほどの向坂さんの詩に書かれた「洗濯もの」が、青いブルーの比翼のシャツだとしたら? すると、突然、このブルーのシャツが「海」のイメージと結びついていく。このように、人は、「どうとでも」読み取る。想像する。しかし、それができるのは、この詩に、余白があるからかもしれない。「洗濯もの」とは書かれるが、それがどんな様子かは説明されていない。書かれていない部分。読み手がそこにイメージを吹き込む。読み手とともに、言葉は多様にひらかれていく。

    ギャルリー・ヴィーの服は「余白」を大切にしてきた。しかし、それは、たんに装飾がない、視覚的なインパクトが削ぎ落とされたものである、ということだけではないだろう。服には、服の歴史があり、この生地は、この形とよく結び付けられてきた、という、よくある組み合わせがある。しかし、そこに、意識的にズレをつくる。それぞれの要素は見慣れているけれど、掛け合わせに意外性を生む。そのことで、なんともいえないバランスを目指すのである。

    詩から、「何かが宙吊りにされていながらも、でも面白い」という状況を学ぶ。服も、日々の装いも、必ずしも、自分自身の意思表示でなくてもいい。こんなテイスト、こんなキャラクター、というわかりやすい落とし所を作らない。自分をひとつの設定にあてはめるのではなく、あえて曖昧なものとしてみる。そこから感じられる自由の感覚も、ファッションの楽しみのひとつになるかもしれない。

  • 国語教室 ことぱ舎・向坂くじらさん

    HP:kotopa.com
    X:@pomipomi_medama


    書店と喫茶 本屋イトマイ
    東京都板橋区常盤台1-2-5 町田ビル2階

    X:@honyaitomai
    Instagram:@booksitomai

    撮影にご協力いただいた「本屋イトマイ」は、板橋区、ときわ台駅 徒歩1分、喫茶を併設した新刊書店。小説や人文書、絵本、月刊誌をはじめ、商店街にある街の本屋として幅広い書籍が揃っています。カテゴリーごとに選書された本棚を見ていると、ある分野についての幅や奥行きが感じられ、多方向に読書欲が刺激されます。さらに、ZINEやリトルプレス、自費出版物にも出会うことも。喫茶スペースは、テーブルやデスクのあいだに観葉植物が置かれ、ゆるやかに個々の空間が仕切られ、じっくり本に没頭できるでしょう。

    営業スケジュールや入荷情報は、エックスやインスタグラムの固定ポストより確認できます。

トピックス一覧に戻る